ジ ャ ッ ク 神 父 の

 面 影 を 追 っ て

 

 パリ・リヨン駅から電車に揺られて40分ほどでついた森の中の小さな町がフォンテーヌブロウだった。ブルボンの大宮人たちが狩を楽しんだ森には、時節柄ちらほらとキャンプをする人々の姿も見えた。車窓から見えるそんな風景をぼんやり見ているうちにフォンテーヌブロウ・アヴォン駅についた。

 降りる人たちの中には日本人もいる。おそらくはフォンテーヌブロウ宮殿へ行く人たちだろう。一人だけ違う方面へ行くのでなんとなく心もとないような気持ちがする。それにどれくらいの距離があるかもわからなかったので、タクシーを拾うことにする。運良く駅前にはタクシーが一台だけ泊まっていた。「オ・クーヴァン・デ・カルム(男子カルメル会へ)」と言うとそれだけで十分だったらしく、タクシーは何のためらいもなく走り出した。

 起伏のある街を10数分走って、着いたところは長く高い塀が連なる一画だった。目の前には郵便局のあるごく普通の集合住宅。重いスーツケースをタクシーから下ろし、塀の中に入るとかつて寄宿学校だったという建物が、つつましい存在感でそこにあった。

 もう10年も前に見た映画『さよなら子供たち』の舞台となった場所だ。名匠、故ルイ・マル監督の、幼い日の、せつなくもつらい記憶が紡がれた映画だった。でもこの場所に立つと暑かった一日が終わったあとの涼しい風がふうっと吹き抜けてゆくので、マル監督のほかの映画もいっしょに思い出したりする。『五月のミル』の音楽として使われたステファーヌ・グラッペリの軽快なヴァイオリンの調べをなんとなく連想的に頭の中で奏でてみたりする。そんなふうにしばらく人気もあまりないかつての校庭だった場所に立って建物を眺めていた。映画で少年たちがシャルル・ペギーの「シャルトルのノートルダムへのボースの奉献」を暗誦した場所、クライマックスでナチスたちがユダヤ人生徒と神父を連れ出した校庭、竹馬に乗る寄宿学校の生徒たち……映画のいくつかの場面が彷彿とそこここに立ち現れるようだった。

 ルイ・マル監督はかつてここがプチ・コレージュだった時、寄宿学校の生徒のひとりとしてここに学んだそうだ。当時の名前は、「幼きイエズスの聖テレーズ校」。サントル・スピリチュエール・デ・カルム、というのが現在の建物の名前だ。訳してみれば「男子カルメル会霊性センター」ということになるだろうか。昔の学校を利用して修道院と信徒たちが静かなときを過ごしたり、研修の場として使われている。翌日フラフラと散歩をしているときには、イコン教室と、禅のメディテーションが行われていた。

 静かな庭から建物に入ると、なんだかやたらに人が多い。どうやら何かの研修が重なっていたようだ。しかし、その人たちとは食堂もあてがわれた個室もまったく別棟にあるようで、部屋に入ると静かに時が流れていくようで、窓を開け放ち、すこしずつ黄昏てゆくフランスの夏の宵を楽しむことができた。

 しかし……。どういうわけか、ランスで痛み始めた歯がまたしても痛くなってきたのだった。食堂で夕食を食べるときも、歯がずっと痛みつづけていた。ハンカチの端をくわえて、奥歯を噛み締めるという涙ぐましい努力を続けた。食卓をともにしたのは、アリスという名の気難しげな老婦人と、無口な神父だった。正直に言うと、あまり感じのいい食卓ではなかった。うんざりしてしゃべる気も消えうせていたのは好都合というべきか。

 修道院の裏手は、これまた広い庭が広がっていて、すばらしい眺めをなしていた。ふらふらと散歩をしてみると、庭には清らかな泉まで湧き出していて、なかなかの雰囲気だ。木蔭に覆われた一画に興味をそそられてふらふらと行ってみると、思いがけずカルム(カルメル会修道士)たちの墓地だった。白木の十字架に修道名だけが記されたシンプルな墓標がいくつも整然と並んでいた。有名なベルギー出身の神学者の名前も発見した。

 そこには『さよなら子供たち』に出てくるジャン神父の墓もあった──ほんとうの名前は、イエスのジャック神父。実名はルシアン・ビュネルという。19世紀最後の年に、ノルマンディのルーアンの、労働者階級の家庭に生まれた彼は最初はルーアン教区の教区司祭だったが6年後にカルメル会に入会した。謹厳実直な神父だったという。映画でも描かれていたとおり、彼はユダヤ人少年を寄宿学校に匿ったことにより、やがて少年たちとともにナチスに連行され、強制収容所で45歳の生涯を終えた。いわゆるレジスタンス運動と同じ行為をしたわけだが、彼はレジスタントであったというよりも、キリスト教の精神に殉じたというほうが正しいだろう……今、フランスではマル監督の映画以来、この人を聖者の列へ加えようという運動が起こっているという。彼にはこんなエピソードもある。幼きイエスのマリ・エウジェンヌ神父という、やはり列福運動のある高徳の神父がある日、このジャック神父ともうひとりの神父に出会った。彼らが去ったあと、マリ・エウジェンヌ神父はこう言ったという──エウジェンヌ神父は一種の千里眼の持ち主だったのかもしれないが──「ひとりはよい修道士になるでしょう。けれどもうひとりは聖人になるでしょう」、と。普段はにこりともしない愛想のない人だったという……感じのいい人であることと聖性には因果関係などないのかもしれない。むしろ愛を実践する人に必要なのは冷徹さなのかもしれない。そんなことも墓の前にたたずんで思ってみたりした。

 ふと、マル監督はひょっとしてこの人の実名を知っていたのだろうか、と思う。『ルシアンの青春』というやはりナチスに協力する青年を主人公とした映画があった。まったく正反対の行動をする青年像にひょっとするとポジとネガのように神父の面影が投影されているのかもしれない。いや、当時俗世間を捨てた出家者は実名を使うことはなかったはずだから、これは単なる偶然に過ぎない。

 墓など好きではなかったが、この人のものは別だ。はじめまして……という心持ちで白い十字架に手を触れる。触れ得ないものに触れたい、それだけを念じながら。

 

◆G. I. グルジェフのこと◆

 

 1877年にアルメニアに生まれたオカルティスト(どう表現したらいいんでしょう?)、グルジェフのことをご存知だろうか。アメリカ西海岸にはじまるニューエイジムーヴメントに影響を与えた神秘思想の巨人として知られている。

 その彼が活躍の場所として選んだのがなんと、このフォンテーヌブロウ・アヴォンだったということだ。それをうかつにも旅行の後に知ることになった。

 個人的にはグルジェフの影響下にはないけれども、ちょっと道を外れたところにグルジェフの墓もあったらしい。見ておけばよかった……って本当に墓めぐりの旅になるところであった。(^^;

 

『さよなら子供たち』

男子カルメル会霊性センターLe Carmel en France より)

 

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